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2011年5月11日水曜日

白子ダービー

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FC鈴鹿ランポーレさんとこのサイトで気になる単語を発見。



真鱈の白子にはおろしポン酢ですよね。紅葉おろしも捨てがたい。





冗談はさておき「白子ダービー」とは鈴鹿と藤枝の対決を指す言葉らしい。

最初は両都市の名産が白子かと思ったけど海なしの藤枝がそんなわけがなく、調べてみると「白子」という地名が藤枝鈴鹿双方にあるとのこと。なぜ双方にそんな名前があるのかというと、何でも徳川家康が、本能寺の変で京都から伊勢に逃げる途中で現在の鈴鹿市白子に立ち寄ったらしい。
明智光秀の追っ手から逃げ、途中、伊賀の土豪の脅威を突破し、命からがら、今の鈴鹿市白子までたどり着きました。別ルートをとった家臣の穴山梅雪が途中で殺害されてしまったことを考えると、「命からがら」ぶりが伺えます。さて、そこから、どうやって伊勢湾を渡ろうか・・と、悩んでいたところ、江島の小川孫三と出会い、孫三が、舟で対岸の常滑まで家康一行を誘導しました。孫三は、よほど家康の信頼を得たのか(?)、さらに岡崎城まで同行した。
白子はランポのホームスタジアム、鈴鹿スポーツガーデンと石垣池公園の少し離れたところにある街で近鉄名古屋線白子駅には特急も止まるらしい。で、先ほどのサイト曰く、藤枝の白子の由来は、
さて、小川孫三は、白子に戻ろうとしたものの、追っ手が孫三を探しており、身の危険を案じたため、妻と子を連れて、再び、駿府城に赴き、家康に相談した。そこで、家康は、孫三を東海道藤枝宿の一角に住まわせ、そこを「白子町」と名づけた・・
藤枝市の白子は、現在は、元町と名前を変えていますが、小川孫三の直系である小川眼科さんの目の前には「白子」のバス停があります。
今はバス停にその名を留めるのみだけど、家康と小川孫三が白子という地名で藤枝と鈴鹿を結んでいたわけだね。これは全く知らんかった。鈴鹿とは去年対戦してるはずなのにMYFCのサイト内で「白子ダービー」と検索して1つもヒットしないのでまだまだ宣伝しなきゃいかんなこれは。今回は鈴鹿での藤枝市役所との対決だったので、残る白子ダービーは、

第5節 6月5日
Shizuoka.藤枝MYF12:00FC鈴鹿ランポーレ藤枝市民サッカーG
第8節 6月26日
藤枝市役所14:15FC鈴鹿ランポーレエコパ補助競技場
第12節 9月11日
FC鈴鹿ランポーレ14:00shizuoka.藤枝MYFC石垣池公園G

の3戦ですね。盛り上がる要素は大事なので次回どう認知されているかが非常に楽しみです。

追伸:
浜松も家康が生涯最も長く拠点にした街だけあって彼にまつわる地名は多いけど、三方原で武田信玄に人生最大かつ唯一の敗戦を味わわされた土地でもあるので、それなりの逸話も残ってる一方で、うんこ漏らしたとか無銭飲食したとかそんな話も残ってます。無銭飲食の件は後世の創作だけどこれは浜松がより人間的な家康を親しむ土地柄だってことだね。

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